【京都】藤森神社の夜店
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伏見区にある黄桜(酒造会社)界隈を撮ってみました。賑やかな大手筋商店街に並行してほんの少し南に位置します。
ここだけ切り取ってみるとそのまま時代劇にも使えそうな風景です。後方に見えている背の高い建物は気を使ってかてっぺんが「屋根」らしくデザインされています。
この観光ルートを外れて周辺の住宅地を歩いてみるとまだ多くの町家が残っています。有名社寺やグルメを楽しむのと同時にちょっと横丁へ入って散策されるのもよろしいかと思います。
この写真の場所、周辺へは京阪電車伏見桃山駅(準急・各停)、近鉄電車桃山御陵前駅(急行停車)から大手筋通りを西へ、もしくは京阪電車中書島駅(特急停車)から商店街を抜けて北へ。いずれも徒歩10分圏内です。
(撮影は08年2月21日)。
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一度は住んでみたい京町家。
紅殻色の格子窓から外の往来を見てもみたい。
幼い頃、遠い親戚が町家に住んでいました。祖母に連れられてお宅を訪問し坪庭が見えるうすぼんやりとした暗い部屋で畏まっていたことを憶えています。車通りが多い国道の近くにある家なのに不思議と静かでした。
都市開発で消え行く京町家を残そう、直して住もう、お店として活用しよう等々、後世に残す運動も地道に行なわれています。住むにはフル装備でデラックスなマンションよりも遥かに手間隙がかかりそうですが、鉄とコンクリートに囲まれるよりは木と土で出来た家のほうがわしは好きです。
ネットで物件を調べてみると結構なお値段です。このブログで京町家を買った、もしくは借りたというエントリーが今後あるとすれば、それはロト6が当たったからだと思ってください。
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京都の南部、八幡市にある橋本というところへ出かけてきました。
京都と大阪を結ぶ街道、舟運の宿場町であり、また遊郭で賑わった土地です。
京阪電車橋本駅を降りて坂のままに下ると、いかにも遊郭だったと思われる建物があちこちに残っています。近辺ではやはり京阪電車の中書島駅付近にも遊郭の跡がありますが、そちらよりも古(いにしえ)の雰囲気は色濃く残っています。
町並み写真や詳しい解説はネット上にかなり発表されておりますので、当ブログでは象徴的と思って写した絵を公開いたします。
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韓国の崇礼門(南大門)が土台を残して焼け落ちてしまいました。およそ600年の歴史がある建造物で国宝第一号です。朝鮮日報など現地メディアで放火ではないか、浮浪者が暖を取るためにライターをつけたら燃え移ってしまったとか、まぁ、いろいろ言われていますがこれほどの文化財でありながらスプリンクラーの設置など基本的な火災防御策が取られていなかったらしい。これは韓国側の失策でしょう。
形あるものはいつかは壊れるのが世の常ですが、きちんと対策していれば壊れなくても済む場合も多々あるということですな。
写真は10年ほど前に撮った南大門です。
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旧知の旅仲間が来訪。彼と二人で京都市伏見区にある松本酒造へ。
ここの酒蔵はよく菜の花を前景として写真に撮られています。この建物群は経済産業省の近代化産業遺産群33(PDFファイル)に認定されている大正11年から今に残る貴重なものです。
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旅仲間とふらりと神戸の街へ。
この建物は昭和2年に完成した二代目の神戸税関庁舎です。モノクロで撮ってみるとほどよい質感と歴史感。というのは自己満足ですが・・・。
カメラ:キエフII レンズ:カール・ツァイス ゾナー50/2 フィルム:イルフォードパンFプラス
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滋賀県内でふと見かけた値札です。57万7千5百円。
信楽町内の足湯施設がある焼き物屋さんで売られている品物です。
ちょっとした中古車が一台買えそうな金額ですが、果たしてその品物とは・・・。
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先週訪れた北野天満宮で見かけた奉納の額絵です。
神社を訪れる楽しみの一つがこの額絵です。武運長久を願ってか、戦にまつわる絵が多い中、こうしたのんびりした絵も散見されます。昔の人は本当にこのような眉毛を描いていたのでしょう。額絵にはむろん明治以前の古いものも残っています。色落ちが著しくみえる額絵でも撮ってみると意外に見られる姿であることも多いです。
戦火を免れ、時代を超えて残る額絵に当時の人は何を願ったのでしょうか。
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コダクローム64。写真を始めた時からしばしば使用してきた外式のポジフィルムです。最後まで残っていたKR、PKR(プロ用)がいよいよ日本国内から消えることになってしまいました。すでにKM(ISO25)とKL(ISO200)は市場から姿を消しています。
条件によっては感度が低いのでブレてしまったり、色が変に写ったりと難しいフィルムではありましたがスナップから風景写真まで幅広く使用したものでした。その重厚な写り具合には捨てがたい味があります。
唯一の救いは日本以外の主要市場ではまだ販売されるようであること。どうしてもコダクロームが使いたくなったらイーベイなどの海外オークションで仕入れる以外に方法はなさそうです。とはいっても、ここ何年かは一本も使っていない身であります。というか近所のカメラ屋からはとっくに姿を消していました。仕方なく入手しやすいコニカのSRAを使っていましたが、こちらも生産中止です。コニカといえばインプレッサ50という高性能ネガフィルムもいつしかひっそり消えていました。桜写真にはうってつけの柔らかい絵が作れるフィルムでした。
結局、フィルムによる写真表現で最後まで残るのはモノクロなのでしょうか。昔からモノクロもちびちび撮っていたのでカラーから全く移行してしまうのに抵抗はありませんが、精彩なカラー表現がたとえ自己満足といえども可能となるフィルムが消えていくのはかなり寂しい。
こうしたことがきっかけできちんと写真を撮ることとは何かを今更ながら鈍い頭で考え直し始めました。
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京都の冬の風物詩、四条南座のまねき上げです。勘亭流と呼ばれる字体で役者さんの名前が書かれた板が並ぶさまは壮観です。書家・川勝清歩氏がお書きになっているものです。そしてその下に演目順に右から左へと並ぶ絵看板も大変な技術で描かれています。日本画家の穂束とよ國氏の筆になる絵と聞きます。不思議とまねき上げほどには話題に上らないようです。これらの絵を見るだけで歌舞伎が分からなくとも名場面が生き生きと伝わってくるようです。
12月吉例顔見世興行演目絵看板の一部を以下にいくつか並べてみましょう。
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京都の半導体メーカー、ROHMが主催するイルミネーション2006です。本社そばの佐井通りにある並木道を明るく照らしています。近い距離にある京都・嵐山では明日から花灯路が始まります。併せてご覧になるときっと面白いでしょう。嵐山からは阪急電車で桂乗り換え、河原町行き急行か各駅停車で西院下車。西大路五条方面行きの市バスかショッピングセンターダイヤモンドシティ・ハナ行きシャトルバスの利用が便利です。
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だんじりといえば大阪の岸和田が有名です。突っ走るだんじりの上に大工方と呼ばれる人が団扇を手に舞う勇壮な姿が印象的な伝統ある秋祭りですが、もちろん岸和田以外にも関西各地でだんじり祭りがあるようです。
ここ城崎にもだんじり祭りがありました。200年以上も続いている四所神社のお祭りです。
14日早朝に温泉街を流れる大谿川から城崎温泉駅まで神輿を曳く行事について走ってみました。男衆ばかりが元気よく神輿を曳いていきます。行き先を采配する声はていねいで「右へ曲がります」とか「駅へ行きます」などとですます調の言葉がかかります。全体的に品のあるお祭りと見受けました。本祭りではないのでセリと呼ばれるだんじりと山車などがぶつかり合う光景を見ることは都合で出来ませんでしたが、機会があれば通しでぜひ見ておきたい御祭です。
参考
▼城崎温泉観光協会
▼語源由来辞典によれば「だんじり」の語源には諸説あるようです。
▼産経新聞(10月16日付け地方版)
「だんじり祭り」本祭 城崎温泉に熱気
城崎温泉の秋を彩る「だんじり祭り」の本祭が15日、豊岡市城崎町で行われた。14日の宵宮に引き続き、法被姿の住民らがだんじりを担ぎながら練り歩き、秋空の中、温泉街は熱気に包まれていた。
だんじり祭りは、宵宮と本祭の2日にわたって行われる地元の四所神社の祭礼。同神社のみこしが7つの外湯をめぐって繁栄を祈願する行事で、200年以上の伝統を持つ。
祭りになると、住民は町内を流れる大谿川に沿って上、中、下の3部に分かれ、子供用を含む計5基のだんじりを担ぐ。みこしを守る上部のだんじりと、これを阻もうとする中下部共同のだんじりがぶつかり合う「せり」が呼び物。
本祭のこの日、朝からだんじりが町内に繰り出し、太鼓や鐘、かけ声に合わせて練り歩いた。午後からは「せり」が各橋の上で繰り広げられた。好天に恵まれたことから、大勢の観光客らが集まった。
上流のまんだら橋では午後0時半ごろ、竹の棒を持ったはかま姿の長老たちが互いに威嚇するなか、2基のだんじりがせりを開始。背中に座布団を背負った若者たちがだんじりを揺らしながら激しくぶつかりあった。迫力満点のだんじりの競演に、集まった観光客らは盛んにカメラのシャッターを切っていた。
また、下流の地蔵湯橋や王橋でもせりが行われた後、みこしは同神社に戻されて2日間にわたった祭りを締めくくった。
(10/16 00:59)
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9/6に御生まれになられた新宮様のお名前が決まりました。
宮内庁の正式な告知は以下のとおりです。
御命名
9月6日御誕生になった文仁親王殿下の第一男子は,悠仁(ひさひと)と御命名になりました。
平成18年9月12日:宮内庁
一部メディアによる記事。
お名前「悠仁」 親王さま命名の儀
6日に誕生した秋篠宮家の男子のお名前が「悠仁(ひさひと)」に決まり、12日午後、紀子さまが入院されている東京都港区の愛育病院で「命名の儀」が行われた。身の回りの品に付ける「お印」は、日本固有の常緑高木の「高野槇」に決定した。命名の儀は、一般のお七夜に当たる皇室の伝統儀式。
宮内庁によると、「悠」の字には、ゆったりとした気持ちで、長く久しく人生を歩んでほしい、との願いが込められている。お印の「高野槇」は「まっすぐに育ってほしい」とのご夫妻の思いから、日本固有の直立の木にした。
お名前とお印はご夫妻で話し合い、お名前については天皇、皇后両陛下にも相談し、先週末から11日までの間に、最終的に秋篠宮さまが決められた。
宮内庁では7月から男女それぞれのお名前を検討、過去の天皇や皇族と重ならないようにした。男子誕生後は、国文学者や漢文学者の意見も交えて、3つの名前を候補に挙げたという。
命名の儀は午後3時半から行われた。秋篠宮さまが毛筆でお名前の「悠仁」、お印の「高野槇」とそれぞれしたためた和紙を、ご夫妻が順に確認された後、宮務官が白木のきり箱におさめて、悠仁さまの枕元に置いた。和紙はいずれも皇室の重要行事に使われる「大高檀紙」と呼ばれる厚手の紙。
お名前は官報で告示された後、天皇、皇族の戸籍に当たる皇統譜に登録される。宮内庁長官らが署名する。
名前に「仁」を付けるのは、平安時代以来の慣習。高野槇は「高野の六木」などとして有名で、皇居の宮殿近くや秋篠宮邸がある赤坂御用地内にもある。
(09/12 15:54)
秋篠宮家の新宮さま、お名前は「悠仁」(ひさひと)
6日に誕生した秋篠宮ご夫妻の長男(親王)の名前が「悠仁」に決まり、「命名の儀」が一般のお七夜にあたる生後7日目の12日午後、紀子さまとお子さまが入院している愛育病院(東京都港区)で行われた。
2006年09月12日15時50分
宮内庁によると、名前はご夫妻で相談し、秋篠宮さまが決めた。皇太子のお子さまには天皇が名前を贈るが、宮家の場合は宮家当主が名付ける慣例がある。「悠」には悠久や悠然の熟語にあるように「ゆったりとした気持ちで、長く久しく人生を歩んで欲しい」という願いが込められているという。
また、身の回りの品につける「お印」は「高野槇」と決まった。日本固有の常緑高木で、ご夫妻が「大きく、まっすぐに育って欲しい」と選んだ。
親王の名前は「仁」が付く2文字となるのが慣例。ご夫妻は夏ごろから検討を始め、歴代天皇らの名前と重ならない文字の中から、男子と女子の両方を想定して名前を考えた。両陛下や漢学者、国語学者にも相談したが、直前まで熟考した様子で、最終的に決まったのは前日の11日。「ひさひと」という音の響きも決め手の一つになったという。
皇太子さまの「浩宮」、秋篠宮さまの「礼宮」のような称号(幼少時の呼び名)は天皇、皇太子のお子さまに限られ、宮家に生まれた新宮さまにはつけられない。
命名の儀は午後3時半すぎから、病院内の個室で行われた。秋篠宮さまはモーニング姿、紀子さまは空色の絹の服装。名前とお印が記された2枚の和紙をご夫妻が確認した後、宮務官が桐の箱に収め、お子さまの枕元に置いた。
悠仁さまのお名前は14日官報に掲載され、近く皇族の戸籍簿である皇統譜に登録される。紀子さまとお子さまの退院は数日後になる見通し。
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文仁親王妃紀子殿下が御出産なされ、無事に男の新宮様が御誕生になりました。心からお祝い申し上げます。
宮内庁の正式な告知は以下のとおりです。
御誕生
文仁親王妃紀子殿下には,本日午前8時27分,愛育病院(港区)において御出産,親王が,無事御誕生になりました。
御体重 2,558グラム
御身長 48.8センチメートル
平成18年9月6日:宮内庁
一部メディアによる記事。
両陛下がご感想「心からお祝い」…宮内庁が発表
宮内庁は6日午前、紀子さまの出産を受けた天皇、皇后両陛下のご感想を文書で発表した。
全文は次の通り。
「秋篠宮より、無事出産の報せを受け、母子ともに元気であることを知り、安堵しました。様々な心労を重ねた10か月であったと思いますが、秋篠宮夫妻が、その全てを静かに耐え、この日を迎えたことを喜び、心からのお祝いの気持ちを伝えたく思います。2人の内親王も、この困難な時期を、一生懸命両親に協力して過ごしてきましたので、今は、さぞ安心し、喜んでいることと思います。
医療関係者を始め、出産に携わった人々の労をねぎらい、この度の秋篠宮家の慶事に心を寄せ、安産を祈願された内外の多くの人々に、深く感謝の意を表します」
(2006年9月6日13時9分 読売新聞)
紀子さま、男のお子さまご出産
秋篠宮文仁親王殿下(40)と同妃紀子殿下(39)の第3子が6日午前8時27分、東京都港区の愛育病院で誕生された。宮内庁によると、お子さまは親王(男子)で、体重は2558グラム、身長は48.8センチ。皇族としては初めてとなる帝王切開でのご出産となったが、母子ともにお元気。皇室では昭和40年にお生まれになった秋篠宮さま以来、41年ぶりの男子で、皇位継承順位は皇太子さま、秋篠宮さまに次いで第3位。天皇、皇后両陛下には皇太子さまの長女、愛子さま(4)に続く4人目の孫。皇室は23人となられた。
宮内庁の金沢一郎皇室医務主管と執刀医の中林正雄愛育病院院長によると、「紀子さまは術後の経過も順調で、お子さまもオギャーと元気に泣かれた」という。手術は午前8時23分に始まり、同9時7分に無事終了。紀子さまは手術室を出られ、個室の病室に戻られた。
中林院長が「おめでとうございます」と述べると、紀子さまは「大変ありがとうございました。気分は良好です」とこたえられた。
控室で男児のご出産の報告を受けた秋篠宮さまは静かに「ありがとう」と話され、お喜びはすぐに第16回「国際顕微鏡学会議記念式典」ご出席のため北海道にご滞在中の天皇、皇后両陛下へ宮さまから電話で伝えられた。両陛下は非常に喜ばれたという。
皇太子さまにも宮さまが電話で報告された。皇太子ご夫妻もとてもお喜びだったという。
始業式のため、それぞれ学習院女子中等科と学習院初等科に登校していた長女の眞子さま(14)と二女の佳子さま(11)も、吉報を知らされ、初めて弟ができたことにとてもうれしそうなご様子だったという。
皇室では秋篠宮さまのご誕生以来、妹の黒田清子さん(37)から皇太子ご夫妻の長女、愛子さままで9人続けて女子が誕生されていた。
皇位継承順位の第4位は天皇陛下の弟の常陸宮さま、第5位は三笠宮さま、第6位は寛仁親王殿下、第7位は桂宮さま。
紀子さまは今年2月7日に医師の診断でご懐妊の兆候が確認された。7月12日、宮内庁病院での検診の際、胎盤が子宮口の一部をふさぐ「部分前置胎盤」の状態で帝王切開の必要があると診断され、8月16日、早期入院された。
秋篠宮ご夫妻、さい帯血提供申し出る…愛育病院長
帝王切開で男のお子さまを出産された秋篠宮妃紀子さまの主治医、中林正雄・愛育病院長は6日、秋篠宮ご夫妻が「国民の役に立つことであれば」と、さい帯血の提供を申し出ていたことを明らかにした。
さい帯血は、へその緒と胎盤に含まれる血液で、血液を作る成分を多く含んでおり、白血病など血液疾患の治療に利用されている。
「東京都赤十字血液センター臍(さい)帯血バンク」(江東区)によると、愛育病院は、都内の病院でさい帯血採取の提携をしている9病院の一つ。
この日、採取された紀子さまのさい帯血は、同センターが細胞の量などを調べる精密検査を行い、要件を満たしていれば登録して凍結保存される。
同センターでは、ご夫妻の決断に「大変にありがたい篤志。さい帯血の採取はなかなか定着しないが、妊婦の理解が深まることで、提供が少しでも増えてくれれば」と歓迎している。
(2006年9月6日21時27分 読売新聞)
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ぶらりと近江鉄道に乗りました。米原から琵琶湖の東側を南下して貴生川へと至る本線と、大凧で有名な八日市から分かれて近江八幡へ至る八日市線、そして多賀大社への参宮路線である多賀線の3路線からなる地方私鉄です。運転の形態は本線だけでみると八日市でひとつの区切りとなっているようです。
地方私鉄ゆえ運賃が高いと思われがちですが、土日祝日には近江鉄道全線が550円で乗れるSSフリーきっぷが通年発売されていますから、週末などを湖東路散策で過ごすならばかなりお得に使える電車といえます。さて、八日市を出て4つめの桜川駅構内の建物にはまだこんな看板が健在でした。ところどころ錆びていますが、由美かおるの美しさは過去も今もまったく変わらず。巷の噂では由美かおるが元気なのは人魚の肉を食べたからだと言われています。なんでも人魚の肉を食べれば800年は生きられるということです。福井県小浜市の空印寺は人魚の肉を食べて800年生きたという八百比丘尼ゆかりの寺として有名です。

こちらは水原弘。古いアニメが好きな人なら、この人の歌声としてたちまちカムイ外伝の主題歌が頭に浮かぶことでしょう。子供の頃、彼はお酒の飲みすぎで死んだらしいと聞きました。
これらアースの宣伝が始まったのは昭和40年代のことです。
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日曜日の朝。フジTV系列の報道2001が始まる前にキンカンのコマーシャルが流れる。懐古調の絵が面白い。左右に揺れながら桃色と赤色に塗り分けられた気動車が走ってくる。開けた窓から外を見る帽子をかぶった少女。物を運ぶおじさん。乗り遅れて乗り場を走る紳士。仕事で肩がこった駅弁売り。駅を出ると少女の帽子が風に吹かれて線路に落ち、再び気動車が横揺れしつつ走り去っていく。まだ続編がいくつか出てきそうな余韻ある結末。登場人物にセリフがないからあれこれ想像ができて今時面白いコマーシャルに仕上がっています。登場する気動車は鉄道ファンには嬉しい青森県の野辺地−七戸を結んだ南部縦貫鉄道のレールバスです。バス窓が手抜きもなくしっかり描かれているのは大したものです。この南部縦貫鉄道は運転されなくなって久しく年月が経ってしまいましたが雪深い夕暮れにほとんど貸しきり状態で乗った日のことを懐かしく思い出します。CFのとおり本当によく揺れるのです、あの気動車は。
このCFはキンカンのサイトで見ることができます。CM紹介のページにある「キンカン町の人々」の2本に入っています。この絵を描いたのは峰岸達さんだということですが・・・。とにかく未見の方は一度ご覧になってみてください。
■参考サイト
▼青森朝日放送「ローカル線の旅 南部縦貫鉄道」
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子供の頃は西部劇が好きでした。もちろん今でも好きです。常に見ていたのはアメリカ製西部劇ではなく、イタリア製のいわゆるマカロニ・ウェスタンです。不思議とアメリカ製西部劇はあまり見なかった。今でも見たいと思うのは「シェ−ン」や「ハイ・ヌーン」、「荒野の七人」くらい。
マカロニ・ウェスタン流行のきっかけとなった黒澤映画「用心棒」のパクリ、「荒野の用心棒」のクリント・イーストウッド。時代考証丸無視の機関銃が登場する「続・荒野の用心棒」のフランコ・ネロ。薄っぺらな1ドル銀貨が45口径の弾丸を防ぐ「荒野の1ドル銀貨」のジュリアーノ・ジェンマ(モンゴメリー・ウッド)。勝手にこれら3人の俳優を御三家と自分では分類して楽しんだものです。映画もTV放映される限りは必死で見た。拳銃などもたくさん集めて友達同士で早撃ちの練習もよくやりました。
そんなガキの心をわかせた西部劇には欠かせない銃の一つだったウィンチェスター銃が本家アメリカ国内での生産を中止するそうです。以下に引く記事中にある「M73」は「ウィンチェスター銃73」という映画の題材にもなったほど馴染み深いライフル銃です。わしは見たことないけど。幸いベルギーや日本の銃器メーカーが生産を続ける由。日本のメーカーとはおそらく株式会社ミロクのことでしょう。ウィンチェスターのライフルは3種が製造されているもようです。うちにあるのは写真のM73(MGC製の模造銃です)が一丁。部屋の飾りにはぴったりです。
24日付共同通信の記事から抄録。
ウィンチェスター銃に幕 米西部開拓の象徴
【ロサンゼルス24日共同】米国で西部開拓時代から愛用され、ライフルの代名詞ともなったウィンチェスター銃の生産が近く中止される。製造元のUSリピーティング・アームズ社が23日明らかにした。日本や欧州のメーカーがブランド名を引き継ぐが、俳優の故ジョン・ウェインらが映画で愛用した米国の“力の象徴”が国外生産となることに、戸惑いの声も出ている。
ウィンチェスター銃は特に南北戦争(1861−65年)後、西部開拓民が狩猟や先住民との戦いなどに使い、中でもモデル73は「西部を征服した銃」と呼ばれるほど普及した。第2次大戦後も軍用や狩猟用に生産が続いたが、需要の先細りと人件費の問題で、コネティカット州にある最後の工場を3月いっぱいで閉鎖、約140年の歴史に幕を下ろすことが決まった。
今後は高知県とベルギーなどの銃器メーカーが各種モデルの製造を続ける。米国では銃の部品製造のみとなる。
(共同通信) − 1月24日20時21分更新
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35mm版のフィルムカメラでは老舗のニコンも銀塩市場からはほぼ撤退します。写真を始めた頃は知人のニコマートを貸してもらってよく練習したものです。自分で本格的なカメラを持つようになってからはミノルタやコンタックスを中心にシステムを揃えていますがニコンとは全く接点がなかったわけではなく一抹の寂しさを感じています。
銀塩ボディはF6とFM10が残るのみ。FM10はコシナという会社のOEM商品なので実質的にはF6だけしか残らない。F6とて最高峰モデルという位置付け以外にディジタルカメラのD2シリーズと共通部品を使っている面があるからかろうじて残ったような気がしないでもありません。でなければ、勝手な理由ながら、FM10よりもしっかりしているFM3Aの方が使う側としては残して欲しいカメラです。
銀塩はすでに主流派から転落しているような状況ながら、わしはまだまだフィルムを使いつづけるつもりです。が、今使っている電子機器が詰まったミノルタやコンタックスが故障してしまったその時、修理は受け付けていない可能性が高い。銀塩フィルムがいつまでも供給されると仮定して結局最期まで使えそうなフィルムカメラは独逸製のライカやコンタックスに代表される機械式カメラなのかも知れません。
銀塩とディジタルの利点などについての私見はまたいずれ書きます。
以下、ニコンの発表を一部転載します。文中色が変わっているのはこちらで処理したものです。
フィルムカメラ製品のラインアップ見直しについて
平素はニコン製品をご愛用いただきまして、誠にありがとうございます。
このたび弊社は、お客様のニーズに応じた製品をタイムリーにご提供するため、デジタルカメラ事業に一層の経営資源を集中し、フィルムカメラ製品のラインアップを見直ししていくことといたしました。
フィルムカメラ市場が急激に縮小する中、コンパクトデジタルカメラは普及率も高まり、今後はより高機能、付加価値の高い製品が求められております。また、デジタル一眼レフカメラにおきましては、今後はフィルム一眼レフカメラやコンパクトデジタルカメラからの買い替え需要などの拡大が見込まれ、より高性能な新製品の発売が期待されております。
このような市場環境の中、お客様のご要望により迅速に対応するために、デジタルカメラ事業に一層の経営資源を集中し、フィルムカメラ製品のラインアップを見直ししてまいります。
大判カメラ用レンズ、引伸し用レンズにつきましては全品の生産を終了し、在庫がなくなり次第販売を終了いたします。また、フィルムカメラボディー、マニュアルフォーカス交換レンズ、その関連アクセサリーにつきましては一部を除き生産を終了し、在庫がなくなり次第販売を終了いたします。
今後のフィルムカメラ事業は、フィルムならではの表現を大切にするお客様に高い評価をいただいておりますニコンのフラッグシップカメラ「F6」、写真を勉強する方の入門機として定評のある「FM10」を中心に継続してまいります。
なお、アフターサービスに関しましては、これまでどおり製品ごとに定めております規定に従って対応してまいります。
今後ともニコン製品を引き続きご愛顧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
※ニコンの発表が11日付けですのでココログ掲載の日付もそれに合わせておきます。記事作成は13日です。
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ねじりまんぽは蹴上インクラインの下をくぐる人道トンネルです。京都市営地下鉄東西線蹴上(けあげ)駅の出入り口すぐそばにあります。南禅寺への近道ですので、何度も通ったという方がたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。
南側入り口には琵琶湖疏水事業推進の立役者の一人、北垣国道京都府知事(当時)の揮毫が掲げてあります。「雄觀奇想」と左から書いてありますが、きちんと調べるまでは「雑観奇想」と読んでいた者が若干一名おります。
ねじりまんぽとは関西を中心に使われる言葉らしく、正式には「斜架拱」や「斜拱渠」というそうです。煉瓦工法に関する用語なのでちょっと読み方が分かりません。それぞれ「しゃかこう」、「しゃこうきょ」とでもいうのでしょうか。
斜めにトンネルを掘る際、煉瓦をこのようにして斜めに積むとアーチ構造としてのトンネル強度が得られるということです。なるほど、斜めに積まれていますね。ねじりまんぽはここのほかには20数箇所あるらしく、ほぼ全てが鉄道に関連して作られたものだそうです。
ねじりまんぽをはじめ、琵琶湖疏水に関してはそすいのさんぽみちさんのサイトが結構読み応えのあるものとしてお勧めです。
そして折角の史跡に下手糞な落書きをして悦に入る馬鹿。上手ならいいという訳でもありませんがね。犯人がもし京都の住人であるなら、京都の恥です。観光客がたくさん訪れる場所でもありますし、なんとか消せないものでしょうか。
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水路閣そばの紅葉です(撮影は11/22)。午後3時を過ぎるあたりからは日陰となり少しひんやりします。
それにしても、いつ見ても水路閣のデザインは興味深いです。新幹線や高速道路の高架橋も要所要所でこんなデザインであれば面白いのに。あヽ、コストがかかるからダメですね・・・。心豊かな都市計画デザインは過去のものですかね。古びて味わいが出そうな建物って、今ではどれくらいあるものでしょうか。
■当ブログ関連記事
【京都】水路閣
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イギリス、ロンドンの名物といえば何を思い浮かべますか。霧、ビッグベン、テムズ川、あるいは夏目漱石という方もいらっしゃるでしょう。そしてロンドンには行ったこともないのにわしの脳内風景に取り込まれているのが二階建てバス。香港にも同じようなバスがあるようですが、この二階建てバスがいよいよ定期路線の運用から外れるというニュースが入ってきました。理由は車体の老朽化や車椅子への対応などが出来ないことらしいです。読売新聞オンライン版に詳しく書いてありますので抄録しておきます。
ロンドン名物の旧型2階建てバス、老朽化などで引退
【ロンドン=中村宏之】ロンドン名物のドアなし旧型2階建てバスが、12月9日を最後に一般路線から引退する。
半世紀にわたって街を駆け抜け、優美な姿と乗り降りが自由な開放感からロンドン市民に慕われたが、車体の老朽化や車イスへの対応を理由に新型バスに代わるからだ。姿を消しつつある「ロンドンの象徴」に、市民の間ではお別れムードが高まっている。
「ルートマスター」と呼ばれるこの旧型バスは、1956年に運行を開始。車内では車掌が、検札業務のほか、行き先案内をしたり、混雑時にお年寄りや子供連れに席を譲るよう協力を求めたりするなど、人情味あふれる乗り物だった。
乗客は、停留所でなくても、自由に乗り降りできた。危険な飛び乗りに、車掌が大声で注意する姿もロンドンらしい光景だった。
68年の製造終了まで、ロンドン向けだけで2760台が作られた。第2次大戦中の航空機製造技術を活用した屋根やボディーは、女性的な曲線で、石造りの堅牢な建物が多いロンドンでは際だって見えた。
これまで、さまざまな映画のシーンに使われたほか、エリザベス英女王が在位25周年を迎えた77年には、銀色に塗装した25台の特別仕様車が、バッキンガム宮殿の周囲を走って祝福したことでも知られる。
ただ、車イスでは乗り込むことができず、障害者に配慮した公共交通機関を2016年までに整備するよう求めたEU統一基準はクリアできない。車両故障や、飛び乗り・飛び降りの事故も多く、「年間1人は死者が出る」(市交通局)点も、時代にそぐわなくなっていた。
今月14日からは、「遺産ルート」と銘打った観光用路線での運行が始まるが、一般路線を走る姿を見る機会は残り少なくなり、バス停で写真を撮ったり、車掌と思い出話に花を咲かせる乗客が増えている。
子供のころからバスに親しみ、「私たちの愛したバス」の著書があるフリージャーナリスト、トラビス・エルボローさんは、「ルートマスターはロンドンの街の魅力を宣伝するために生まれてきた」と振り返り、ドア付きで乗り降りが自由にできない新型バスについては、「街の中で思いがけない発見をする楽しみが減る」と惜しむ。
一般路線を走るルートマスターは現在、市中心部を通る「159番線」の25台を残すのみ。ラストランの当日は、マラソン中継のようにテレビカメラでバスを追いかける計画もある。ロンドン市民の哀愁を乗せて、ルートマスターは半世紀の運行に幕を閉じる。
(2005年11月8日23時31分 読売新聞)
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888ヶ所の霊場を巡拝した方が現れました。
巡礼の旅は車でも大変です。ましてや徒歩、それも重たい人力車を牽いての霊場巡りは想像もつかない苦労があったことでしょう。わしも四国遍路を10年ほどかけて1周していますが、ほとんど車と列車での行程でした。車だと苦労はあまりないように思われるでしょうが、車には車なりの苦労があって、巡拝のための交通手段は何であれ得るところはたくさんあったと思っています。
以下、京都読売新聞オンライン版の記事から抄録します。
人力車引き888か所満願
人力車を引いて全国を巡礼していた神奈川県大磯町の岸好治さん(56)が、1年半かけて計888か所の巡礼を達成し、4日、その道中で得度した東寺で満願成就の表彰を受けた。岸さんは感極まって涙を流しながら「日本の隅々で名前が知られている弘法大師の大きさを実感した」と話していた。
トラック運転手だった岸さんは1981年、小田原市の東寺真言宗・福田寺の橋本尚信住職と知り合い、人力車での巡礼を
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