最近はデジカメばかりで写真を撮っている。
古い型式のデジカメなので、高画素数の時代には完全に乗り遅れている。日常のメモ程度の認識で使っているからこれで特に不満はないが、そのカメラを使って撮ることに飽きてくる。当然、発作的にカメラが欲しくなる。それはデジカメであり、またもちろん銀塩でもある。銀塩のカメラはコレクターほど沢山持っているわけではないが、普通の人よりは多く所持している。その中で何を一番使っているかというと35ミリならコンタックスRXとプラナー50ミリというありきたりの一眼レフ基本セットかコンタックスG1にビオゴン28ミリという広角基本セット。中判カメラも何台かあるが、現在のところ出番が一番多いのはキエフ60にヴォルナ80ミリがついたこれまた基本セットであろうか。
これだけで風景から人物、街角のスナップまでみんな撮ってしまう。別に不自由しない。ということは、これで機材は充分なのであり、殊更新しく買う必要もない。また買ったところで1回か2回試写しただけで、あとは使わないカメラが増えるだけなのだ。いわば無駄な買い物なのであり、そんなのに金をかけるのであればフィルムを買ってたくさん撮影するほうが何万倍もマシである。それでも欲しくなる。欲が深いからだろうか。
あのカメラを使えば、もっと自在に撮れる。いや、このカメラだと○×というレンズが使えるから表現の幅が広がる。あれ?それならあっちのカメラのほうがレンズの選択肢が広いし、ちょっと散歩にぶら下げていくにはもってこい。なに。レンズ交換が出来ない2眼レフの方が焦点距離の雑念から自由になれる表現者向けのカメラである。
日頃は鈍らな頭脳なのに、こんなときはさまざまな考えがすぐに浮かんでくる。それは誰かを説得するためではなく、先に書いた欲深なせいでもない。自分を納得させるための言い訳なのだ。カメラ購入を正当化するためだけの、他には役に立たない自分勝手な言い分である。
一番情けないのは、カメラを買うことだけが目的化している。興味ある機種なら、35ミリでも中判でも予算にさえ収まっていれば何でも良いのである。デジカメでも問題ないところがまた馬鹿である。もちろん写真は結局大して撮らずに終わる可能性が非常に高い。
これは端的に言って病気である。
最近のコメント